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つながる語らい場

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孤独感・孤立感

『 孤独感・孤立感 』


自分は人と違っているな…と感じるとき。

誰もわかってくれない…と感じるとき。

人になじめない…と感じるとき。


孤独だ―。


どうすりゃいい?


打ち解けあえる仲間がほしいよ。

自分がここに居てもいいんだと、感じてみたいよ。


どうすりゃいい?


けれど、ふとした瞬間に

心がゆるんでいる自分に気づくこともあるよ。

不思議だなあ。何が起きたのかなあ。


―語ろうよ。

…・…・…・…・…・…・…・…・ 


孤独感と孤立感は、別のものじゃないかな。ニュアンスが違うかな。孤独感っていうのは普遍的なもの。普段は一人でない人が、一人になったときにふと感じたりするものじゃないかな。


――会話がうまくできない孤独


漠然と孤独だなあと思うことがあった。

 若いときにアルバイトをしていて、会話がうまくいかなかった。人に話しかけられたとき、人と話題を共有できれば孤独じゃないと思うけれど、自分はうまくできなかった。「どんな楽しみがあるのですか?」なんて聞かれたときに、深く考えてしまって、答えられなかった。話しかけた人は何の気なしに、親しみをもって言ってくれたんだろうと今は思うけれど。

 

デイケアがうまくいかなかったのは娯楽の話題についていけなかったから。話題に軽くのれれば人と共有できる。そうすれば孤独に感じないのかな。

 

楽しみがあれば、人と理屈抜きで会話を共有できる。楽しみがあれば、人と話せるとは思うけれど、楽しみの話だけじゃつまらない。それがきっかけで話しはできるかもしれないけれど。

 だから楽しみがなくても話せるようになりたい。鳥がきれいだな、空がきれいだなと。そんな話でも。

何もないけれど楽しい。なんでかなあ。何もないけれど楽しいってよいなあ。

 

――孤立していくとき


二年前に入院したときに、他の患者さんとうまくいかなかった。ベテランの看護師さんに「孤独は良いけど孤立は良くないよ」と言われた。

 人とかかわることは、わずらわしかった。

 でも仕事で怖い思いをしたとき、まわりの人たちがサポートしてくれない感じがした。それで「もういいよ、自分でやるよ」というように考えるようになった。何回かそれをやってしまった。   

 若いときは、仕事で迷うことがあると、すぐに人にきいていたけれど、段々人にきかなくなり、上司にもきかず、そんな事が続いて、どうにもならなくなった。孤立していたと思う。

 今は、孤立感はない。けれど、孤独感や寂しさがある。

 休みの日、広い家にポツン。人との関係がうすくなると孤独を感じる。

 

――語りたいけど、語れない


孤立の方が辛い。カフェで話題に入れないとき、孤立感がある。それがずっと続いてきた。

 孤立を感じるのは、ここだけじゃない。

 僕はハロプロの話ができる。でも、できない人もいる。語りたいけど、語れない。趣味を分かち合えるといいが、趣味があわなくなると疎遠になる。

 自分はいつも一人でいる。誰かに気をつかわないから自由だ。一人で思考をめぐらすのが好きだ。でも一人の時間が長すぎると、どう人とかかわっていったらいいか分らなくなっちゃう。

 人から「怖い」って言われる。でも、自分は緊張しているだけ。緊張して怖い表情をしているから、話しかけてもらえない感じになってしまう。



―― わずらわしさと、欲する気もちと


一人でいたい気持ちと、分かち合いたい気持ちと、両方あるのかな・・・。

 

そうかもしれない。人との関係は、近すぎるとわずらわしい。その度合いが難しい。

わずらわしいって以前は思っていた。今は違う。逆に、欲してしまう。人と付き合いたい。

 

孤独は、案外いいかも。集団から一人になるけど、それも必要なのかもしれない。人に合わせなきゃと思ったら大変だったかもしれない。

 

孤独感は感情だけど、孤立は、そうなのかな? 

 孤立は状況の事であって、心の中から出てくるものとは違うのかなぁ。怖さが伴うんじゃないのかなぁ。

 


――思い込みがストップをかけている


孤独感と孤立感―。どちらも「感」がついて主観になってる。

 深みが増す。

 中学の時、はぶられていた。

 自分はダメなんだ、という観念、思い込みがある。

 今はきっと、普通に対応できるんじゃないかな。なのに過去の観念・思い込みが、ストップをかけている。

 過去をさかのぼることが大事だな。


“パスあり。自分のペースでいい”。 

 caféの『大切にしたいこと』に、わさわざ書いてある。

 caféは練習の場なんだ。

 自分を一番苦しませているのは「感」。

 ホントに皆、悪意めいたものを持っているのかどうかは、わからないのに…。

 

年末年始の時期は一人になる。いとこが来てくれる。その気持ちに安心感が得られる。自分の孤独感は減った。

 


――挨拶が苦手で…


俺は俺のままじゃいけないのかな。にっこり笑いなさいと言われてもできないし、社交辞令の挨拶は苦手です。自分は客観的にみると、とっつきにくい人間だと思う。人から理解されないと思い込んで、結果として孤立する。

 でも、自分が自分のままでいればいいんだ。

 

挨拶でおもしろいのは、夕方からでも「おはようございます」って言うのは、どうしてなのかな?「お疲れさま」と言うのは、いやいや働くからお疲れさまなのかな?

 

宣教師の人が『お疲れ様』の言葉に抵抗があって「およろこびさま」にしたと聞いたことがある。

 caféのスタッフに『話かけていいですか?』ときかれてビックリしたことがある。相手のペースを大事にできるんだな、と今は思う。

 

自分をガードするために挨拶はあるのではないかな。挨拶は場をなごませる。でも苦手なことは、無理にしなくていい。

 孤独・孤立を感じるとき、自分がひねくれて「どうせ私なんて」と思ったとき、すべてを投げて、孤立感・孤独感を感じちゃっているのかな。


孤独になるのが怖いから人に合わせようとしているのかな。

 

人に合わせるのが疲れるときは、「へえ」を3回言って、「そうなんだ」と言えば、表面的に合わせられますよ。

 

…… 感 想 ……


少人数で言いたいこと言えて、聞けて、よかったです。


理解できることと、できないことの両方があった。人はそれぞれ価値観が違うからだろうな。

  

言葉の中に、宝石のようなものがあった。少人数で、じっくり語られたからかな。

 

「普通はこうだけど、自分はこうだな」と受け入れられたら楽になるのかもしれない。

 

本当に孤独だった人は、欲することも知らないと思う。寂しさがあるというのは、欲し始めたということだし、つながる感覚を知ったからなのかもしれない。だから、淋しさはいい感情なのかもしれない。


今年の1月に弟が死んだ。家族のいる孤独と、誰もいない孤独は質が違うな。自分一人の責任と、自由さもある。両面だな。

 

111回 2015129日に行いました。














# by tsunagarukai | 2016-09-04 16:47