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つながる語らい場

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言葉

『 言葉 』


日常にある「言葉」

あたりまえのようで、けっこう難しくありませんか?

相手を想うだけでOK

でも、言葉を使うことで、より理解が深まることもあると思う

もっと相手の気持ちを理解したい

もっと私を理解してほしい

そして、自分の気持ちと向き合うためにも必要な「言葉」

だけど、言葉だけでは表しきれない気持ちがある

言葉の向こうにある気持ちを、のせてみたい

言葉について、語り合ってみませんか?

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両親にTVのリモコンの操作法を教えてもらうとき、「もう少し静かにしゃべれないのか」と言われる。理不尽に思う。どういうトーンで話せばいいのかな?

話す時の態度や表情の方が、言葉よりも大切だよと相談機関で言われた。自分は笑顔が苦手なので、笑顔の練習もした。今は笑顔で話せるようになったかなと思う。

話す内容よりも笑顔が大切なんだなあ。僕は、もしかすると深刻な顔で話しているのかな? 表情は苦手な分野だな。

言葉で人を傷つけることもできるし、言葉で救うこともできる。だから言葉を大切にしたいと思っているけれど、言葉足らずになって相手にうまく伝わらないことがあって、もどかしく思う。

自分が使った言葉を、相手は違う意味で受け取ることもある。色合いの違う言葉がある。一つの言葉にも、明るい意味と暗い意味がありますね?

サラッと話したつもりでも、相手の受け取り方は違うことがある。体調やコンディションにもよるのかな?

自分の気持ちや思ったことを上手く話せるようになると楽になるのかな?

相手にわかってもらいたくて、言葉を使ったがゆえに、かえって混乱を招くこともあるのが怖いな。

「ふるさと」という言葉をきいて、田園風景を思い出す人もいる。マンハッタンの高層ビルを思い出す人もいる。

わかってもらおうと思って説明しすぎて、自分が何が言いたいのか、迷子になっちゃうこともあるな。

「説明しすぎないこと」を心がけている。説明を求められれば説明するけれど、求められないときは、しばらく待ってみることにしている。

「言葉の向こうにある気持ちをのせてみたい」と思う。どうしたらいいのだろう!?

「言葉だけでは表しきれない」と思う。よくしゃべる人は、「しゃべること」が得意な表現方法なのだろう。けれども、「絵や文章を書くこと」で伝えるという方法もある。

感謝の表現が苦手です。苦手だから、絵や刺繍の手作りにして贈りたいと思うけれど、それが出来上がった時には、相手とのご縁がなかったりして…。







言葉はキャッチボール。相手が投げてくれた時、自分は返せていなのじゃないかなと不安になる。

caféのドアを開けて入るとき緊張するけれど、「おはよう」の挨拶だけで楽になることもある。そのような言葉を言えるようになりたい。

人から言葉がほしいとき、自分の言葉で説明して言葉を求めることが難しい。

言葉には、言葉の向こうにある気持ちが乗っていると思う。たとえば語り部。戦前の言葉で話す。地方の言葉で郷土史を話す。その時のそこにある歴史や生活があり、言葉に「ある意味合い」があるように思う。その時のその人の想い、同じ言葉だとしても違ってくるのかな。

caféに来るまでは「ちゃんと言葉にしなきゃ」と思っていた。相手を想うだけでOK、と聞いた。相手に通じているんだって信じてから話すのもいいし、伝えたい想いを心の中で思うだけでもいい。そんな風に思えると私には言葉が身近になってくるのかな?

話していて、相手に通じているかが心配になったときは、「今の伝わった?」って聞くようにしている。たいていの人はウンウン「伝わった」って言ってくれる。伝わったって確証はないけれど、安心感があるし、続きを話しやすくなる。

***休憩*****

「ありがとう」と「ごめん」の言葉を言うことが一番難しいな。

電話で声のトーンで自分の状態が分かると人から言われる。単純だから。

「ここまで伝わった?」と途中で聞くこと。気持ちを受け取れる。

「ことば」は思い出すきっかけになる。

深読みしてしまうことがある。もっと素直に受け止めたい。

私も深読みしてしまう。電話では特に相手のトーンをそっけなく感じて、自分が何かしたかな、と考えてしまう。

気持ちの欲求、つながる手段として言葉を使うのかな。

言葉に隠れている感性に自信をもてない。

言葉は助けてくれている。「手に汗をかいています」と伝えれば緊張感が伝わる。

私が言葉が好きなのは、言葉を読んだり聞いたりして、すーっと心にはいってくるから。

言葉の素敵さって、言葉の意味合いが自分の中を流れていくから。歌詞が好き。発した人は意味合いがあるだろうけれど、受け取り手に、受け取り方をゆだねられているから。同じ曲を聴いても、同じ歌詞をその時々で違って受け取ることができる。

不登校の頃、朝に頭が痛くなって、昼になると治まる。相談室でそのことを話したら、「それはからだことば。言語化できないから体で表現してるんだよ」と。おもしろいなーと感じた。












以前に、「あまり言葉通りに受け取らなくていいんだよ。記号だから」と言われたことがある。一方で「言葉を変えることでよい方向に持っていける」と習ったり本で読んだりした。本当は思っていないことを言葉だけ変えてもいいのだろうか?バランスのとり方に悩んでいる。

自分の気持ちと向き合うための言葉をどうやって探せばいいのかな。言葉が見つからないときがある。

本を読むと、こういう気持ちの時はこういう言葉があると広がっていくから、私は読書の中で自分を表現する言葉を学べたらと思っている。

私は、本を読むと、自分に合うか合わないかが分かる。客観的・中立的な内容のものが合う。その人の考え方を書いた本は自分には入ってこない。

ネットの中に書かれている中傷や批判の言葉は、「ことばの暴力」だと感じる。ストレス発散で言葉を軽視しているのではと思う。気持ちを表現することは大切だけど、過激になり過ぎないように言葉遣いを学びたい。

言っていることと、やっていることの違う人の言葉は信じられないな。

コミュニケーションの手段として、言葉でラリーをするやり方は私には難しい。自分が01になってしまう。くっきり自己表現するか、疲れて黙ってしまうかのどちらか。自分にもほどほどで、人にもほどほどな、ソフトな言葉を使うことは難しい。

言葉や表現のことをこんなふうに一緒に考えられる。そういう場がcafé以外にも広がってくるといいなあ。

私は本を読むことが苦手だが、擬音が自分に役に立つ。びよーん、どよーん、ごわん、ゴワッなど。ダンスをやっていて、その言葉の中にリズムがあるんだろうな。

皆さんの気持ちを聞けて楽になれました。

   第87回 20141029












by tsunagarukai | 2015-05-02 10:25